サイズ:18cm
素材:陶磁器
※モニターの発色の具合によって実際のものと色が異なる場合があります。

吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり
能因法師(69番) 『後拾遺集』秋・366
三室山に嵐が吹いて、 山の紅葉を散らしたら、 麓に流れる竜田川の水面は、錦のように絢爛たる美しさだ。

本説取り 「竜田川 もみぢ葉流る 神奈備の 三室の山に 時雨ふるらし」『古今集』秋下・二八四(よみ人しらず・・・一説に、柿本人麻呂)を踏まえる。
(竜田川の水面をモミジの葉が流れている・・・ということは、神の宿るというあの三室山には、どうやら時雨が降って、落葉を促しているらしい。)

能因法師(988-?)。平安時代中期の歌人。俗名橘 永やす(ながやす)。父は肥後守橘元やす(もとやす)か?中古三十六歌仙の一人。歌論書『能因歌枕』。清少納言の親戚で、『枕草子』からの影響が見える。
松尾芭蕉が旅人の大先輩として尊敬していた人物です。『おくのほそ道』は能因法師について多く触れております。
漢文の素養があり、和歌を藤原長能に学び、歌道師承の初例とされます。
後に、文章生となりますが26歳で動機不明の出家をします。はじめ融因、後に能因と名乗り摂津国古曾部(大阪府高槻市)に住んだため古曾部入道とも呼ばれました。

今日こそは はじめて捨つる うき身なれ いつかはつひに いとひはつべき 
(『能因法師集』) 出家時の心境を詠めり。

出家後は陸奥・伊予・美作など東北から四国まで放浪し、歌を詠む一方、関白藤原頼道の殊遇を受けてその邸宅に出入りしていました。

都をば 霞とともに 立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関 『十訓抄』 十ノ十

能因は「数寄(すき)」ということを重んじました。「数寄」は後に茶の湯につながっていく概念ですが、もとは歌から始まりました。
「数寄」とは、おおざっぱ言えば風流を好むこと。ただし半端な覚悟ではなく、命がけで風流を愛好することです。
藤原清輔による歌論書「袋草子」には能因の言葉として「好き(数寄)給へ。好きぬれば秀歌は詠む(袋草子)」とあります。能因は人によくこう説いたそうです。

英名 エキゾチック ウォーター プラント
かなり様式化された花絵ですが 金彩の絵を加え 豪華さを演出
 20世紀に生きた証を 後世に 伝えんとして 創作美術集団より 自信作を発表

グロッサー・アウスシュニット型
伝統を受け継ぐ一方で 創作美術集団クンストラー・コレクティヴを 1960年に立ち上げました。
新グロッサー・アウシュニット型に ハインツ・ヴェルナー絵付けによる「アラビアンナイト1001夜」や「ブルーオーキッド」等のヒット作が ここから生まれました。

ピカピカの 新品です。  現品 即納

錬金術師-3
ベトガーが 人の出入りの多い 黄金の館から 廃墟に近い 山上のアルブレヒト城へ移されたのは 
(1)大きな窯を設置出来る広い場所 
(2)研究に没頭せざるを得ない環境 
(3)研究が成就の暁に 秘密を守る為 でした。
ベトガーには 3人の監視と 5人の助手(中にウィーン窯の前身に 秘法を伝えることになる 一番弟子シュテルツェルも)が つけられました。
いかに白い黄金と称えられていた 東洋の秘宝といえど 古代メソポタミアに 起源する科学の王道 賢者の石に比べれば 錬金術師ベトガーの誇りにかけて 陶工の真似は 潔き事ではありませんでした。
しかし ベトガーは 処刑を免れる為の 時間稼ぎに 何らかの成果を あげざるを得ませんでした。
磁器の焼成は 16世紀の古きから アラビアと東洋の 玄関口であった ベネツィアで 先ず 試みられましたが 曇ったガラス球に終わりました。
同じ16世紀に フィレンツェ大公(富豪メディチ家)は 砂 ガラス水晶粉を 粘土と混ぜた見事な焼き物(軟質磁器)に成功するのですが やはり 東洋の秘法による白い黄金には とても及びませんでした・・・・・・・

磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。
古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。
13世紀 日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナ
(ポースレーンの語源。寶貝は 古代通貨でもありましたので 白い黄金にも通じました。)
と 賞賛し イタリア・ヨーロッパに初めて紹介しました。
それまでにも アラブの玄関口であるイタリアには シルクロード経由で 先に入手していた アラブの王様から 自分の威光を 誇る 贈り物として 入ってきておりましたが 東洋からのものと 判明したのは マルコポーロによります。
この時 彼は 完品は高すぎて手が出ず 破片を 持ち来ったそうです。 
ヨーロッパにおける 磁器の焼成は 16世紀の古きから アラビアと東洋の 玄関口であった ベネツィアで 先ず 試みられましたが 曇ったガラス球に終わりました。同じ16世紀に フィレンツェ大公(富豪メディチ家)は 砂 ガラス水晶粉を 粘土と混ぜた見事な焼き物(軟質磁器)に成功するのですが やはり 東洋の秘法による白い黄金には とても及びませんでした。
その後も 欧州各地で 白い黄金の焼成が 試みられますが 総て 陶工達によるものでした。 
磁器のガラス質に 惑わされた彼らの せいぜい成功らしきものでも 随分 白い黄金には 見劣りのする 軟質磁器(ヴァンサンヌに続く セーヴルでも フリット軟質磁器)どまりでした。

一方  本家中国の景徳鎮で 14世紀には 磁器最後の姿 染付の完成を見ます。
東洋では 千数百年の長きにわたる 多くの職人達の 勘と経験を 積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の呼称)ベトガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。
ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウス(彼とて 多くの陶工と変わらず 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりました。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり非凡の天才でした。)の 白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の 優越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。
今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
少し理屈っぽくなりましたが 磁器をめぐり 東洋と西洋の違いを 言ってみたかったのです。

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